朽ちた木も彫れる
保守的な人の目には、朽ちた木は愚かの象徴であり、役に立たない象徴であり、捨てる対象であり、心を費やして彫刻する価値もなく、逆転の奇跡が起こることもありえないと映る。 そうして、「朽ち木は彫れない」という言葉は、十分に長い年月の間に、彫刻する者のもっともらしい言い訳となり、“朽ち木”たちの自暴自棄の理由にもなった。 ロダンは言った:生活の中で美が不足しているのではなく、美を発見する目が足りないのだと。 朽ち木も同様である。良い木と比べれば、それはむしろ一つの試金石のようであり、彫刻者の一時のひらめきや回春の技術を試すためのものである。 朽ち木は彫れる。理論上、朽ち木も一つの材質に過ぎず、腐敗を治めて再生させれば新たな活力を蘇らせることができる。たとえ救いようがなくても、腐敗の進行を止めれば、ただ一つの記憶の縮図に過ぎない。 朽ち木は彫れる。実践的に見れば、百草は百の病を治し、百人は百の使い道を持つように、朽ち木にも朽ち木ならではの特質と独自性がある。新しい木は葉を生じ、朽ち木はきのこを生じる。価値を信じ、それを有用な場所に置き、有用なことを行わせることこそが鍵である。信念がなければ、金や玉のような良材であっても、役に立たない木と変わりはない。 生まれつきの才能は必ず役立つ。努力を惜しまなければ、金石も彫ることができるのだから、ましてや朽ち木であればなおさらである。 朽ち木は廃材ではない。朽ち木は彫れる。貴重なのは眼差しであり、大事なのは技術であり、鍵となるのは信念である。 心が朽ちなければ、木は永遠に生きる。 心が朽ちなければ、人も塑造可能である。
返信 (4)
またお前の妹、お前の妹、退屈だ
彫られた腐れ木は皆良い腐れ木である。
朽木白哉
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